ドラムストロングへの思い

 

drumSTRONG ~BEATing cancer~ に参加してみませんか?

『ドラムのビートを通じて "Beat Cancer! (ガンと闘おう!)"』

― あなたの"その手が創るドラムのビート"が"ガンと闘う人々"に"力"を与え得るのです。―

 

drumSTRONGは、2007年アメリカ、ノースカロライナ州シャーロット在住の一人のドラムサークルファシリテーター、

スコット・スィマー氏によって創められました。

 

彼は、自分の息子メイソンが、わずか15才で、骨肉腫 (骨のガン)と診断された時、ガンと闘う人たち自身、そして彼らを大切に思い支えようとする人たちの

 

苦悩のみならず、ガンを克服し生き延びた人々が抱え込まざるを得なかった心の痛みに気付かされました。

 

そこで、スコットは、DrumsForCuresという基金を設立し、

彼らと共にリズムを奏でること(タイコをたたく=BEAT)を通じて、ガンへの関心を高める活動を始めました。

 

それが、'BEATING CANCER!' (ガンに打ち勝とう!)、 BEAT IT! (タイコを叩こう!) なのです。

 (オレンジブンブン『drumSTRONG 誕生』より)

 

今年は5月22日がドラムスロングです>>>詳しくは>>>

僕はこれをしたくてドラムサークルを始めた

 

ドラムストロングに参加したくて・・、というよりも、

ややもすれば、(いろんな理由があって)社会的に受け入れてもらえない方

(いろんな意味で)何かの事情で自分の存在を受け入れられない方

 

そのような方々に何かのきっかけを掴んでもらいたい

この『ドラムを叩く』ということを通して!っていうのが、

僕のドラムサークルを始めたきっかけ。

 

大げさだけど(笑)

 

『もう生きる価値もない』と追い詰めてしまった時期があったとしても

自分だけが『陽の当たらない世界』に追いやられていると感じて生きているとしても

 

ただ、ただ、ドラムを叩くだけで、少しはhappyな気分を感じる・・。

僕は、少なくても今までの人生の中で2回はそれで救われている。

 

14歳から始めたドラムは、僕にいろいろな可能性を教えてくれた。それは自分の人生を変えるほど!

 

ただ、それは自分だけの話。

かけられなかった電話

あまり詳しくは語れないけど、ある精神的な病気で悩んでいた友人がいた。

彼は働きたいと思っていた。他の人と同じように。。

しかし、病気の為に、それは叶わない願いだった。

 

当時、自分が病気だということは、認めたくはなかったのでしょう。

入院も拒否し、自宅療養の道を選ぶことになった。

僕は、彼の相談相手。入院も拒んだため自宅療養中の彼に、精一杯の笑顔をもって会いに行ってた。

そんな僕を大歓迎で受け入れてくれる友人。

働こうと思っても働けない。どこか行こうにも行けない。

病気になる前はアクティブに活動する彼だっただけに、

毎日、もどかしい思いで過ごしている。。ということも想像できたし

我慢できずに行方をくらまして事件や事故に巻き込まれたら、、という心配もあって

頻繁に会いに行った時期もある。

 

でも、頻繁に会いに来るのがオッちゃんでは・・(笑)

会えない、音信不通になる時期もあったりして。。そんなときは、彼のお母さんに容態を聞くのみ。

 

音信不通となり、友人から連絡が来るまで、そ~っとしとこう。という状態になったある日。。

 

彼の家の近くで無料のJAZZライブのイベントに出演することになった。

 

彼は音楽が大好き。そんな彼に「こんなライブがあるから見においでー」って、言ってあげようと思いながら考えた。。。。

 

「いま、友人から連絡がないのは、精神的にしんどいのではないか?そんなときに電話したら、さらにしんどいのでは?」

という無用な気を使って、、連絡をせず。

 

それが、、、。

お父様からの1本の電話

翌日、友人のお父様から電話。

 

1ヶ月ほど連絡がない状態でのお父様からの電話。それも驚きの内容の連絡。

それは『彼の死』を伝える内容だったからだ。

 

亡くなったのはライブ当日の夜中。自分が気持ちよくライブをして、感無量の中寝ているその日、、

2010年3月15日、人知れず息をひきとったのだ!!

 

僕はなぜ、あの時電話1本しなかったのか?来なかったかもしれない、何も変わらなかったかもしれない、

 

けど、

 

最後に声が聞けたかもしれないし、

何か思ったかもしれない、

もしかしたら、何かが変わっていたかもしれない・・

と、大事なときに連絡を出来なかったことを悔やみに悔やんだ。

 

葬儀後、ご家族とお会いすることができた。

僕は自然と家族の一員のように、思い出話を聞かせていただき、家族しか知らない、彼の悩み、彼の最期の状況をも教えていただいて。

 

けれども、彼が死んでから知ったところで「何もできないではないか!」という憤りを感じ

「失ってしまった命に何もできなかった」という苦しさに耐えられない日々を過ごしていくことになる。

 

 

最後、その目は何を見たのだろう?

彼は最後、

その目で何を見た?

その耳は何を聴いたのだろう?

何を感じたのだろう?

そして、何を心に描いたのだろうか?

何を考えたのだろうか?

 

最後に笑ったのは?

最後に笑ったのは、いつ?

言いたいことも、やりたいこともあったろう・・と考えれば考えるほど、苦しい。

 

僕に何もできなかったのだろうか?

いや、

 あの時、何故、電話の1本もかけられなかったのか?

音楽というものは「心を元気」にできるチカラをもっている。そのことは僕自身、

よく知っているはずなのに、自分が演奏させていただく場所へ

心の病と戦う彼を何故、誘えなかったか?

それは、自分の「慢心」でしかないのか?

 

彼は死してなお語る

彼の死の意味は?

一時は音楽からも離れようと思った。自分自身の存在さえに疑問も感じる。

この出来事はどう捉えて、どのように向き合えばいいのだろうか?

 

そんな時、

ある人から言われた言葉が一瞬にして僕の心を変えた。

 

『彼が死んで、自分を見失ったり、自分に疑いをおこしたりしたら、

彼の死は【最悪】となる。そうじゃなくて、残った我々が彼の分までがんばろう!

彼の分まで幸福になろう!としていくことが、善が死者へと還っていくんじゃないか』

 

 

そう、彼の死を【最悪】にするわけにはいかない!彼の死を自分のことと捉え

未来からみて、この出来事が自分には大事なポイントで、自分には必要なことだったと言えるように、【最善】へと変革していこう!とー。

 

 彼は死んだのか?

いや、彼のことを思い出せば、夜中まで語り合ったことや、あまりにアクティブな行動にびっくりしたこと、

まるで僕を兄のように慕ってくれた日々が僕の心の中で蘇る。

そして、彼が僕に問いかけるのだ。

『自分は社会で役にたたない人間か?』ということを。

 

 世の中の誰ひとりとして、そんな人は居ないはず。

『人それぞれ、その人にしかできない使命がある』と思う。

んじゃ、それを体感してもらうのはどうすればいい?しかも、いまの自分にできることで。

ドラムサークルの再発見

『人それぞれ、その人にしかできない使命がある』とは言っても、

現実は就職できないし、

家族に迷惑かけているって思ってる彼のような人が居るとしたら?

 

彼の死後、彼のご両親に会えば、何度も彼の病気のこと、死ぬ間際のこと

涙ながらに言っていた。

何度も、同じことを繰り返しくりかえし話すお母様。

 

その話を聞いているだけしかないのか?自分にできることは必ずあるはずだ。

奇しくも彼が亡くなって1年後に東日本大震災があり、たくさんの命が失われた現状。。その現状をみて何ができるのか?

 

当時、自分の周りにも東北に復興支援に出かける方も居て、

それも偉大な行動は思うが、足元をみればどうだろ?自分の暮らしてる町にどんな人が居るかも知らず、考えることもない・・・、

・・っていうことも寂しい話。

で、自分にできることは何か?と思って、それで思いついたのはドラムサークルだった。

 

目的は「コミュニティ」。また、どんな人でも使命があって無限の可能性があるというのを感じてほしい・・「エンパワーメント」促進というところ。

ドラムサークルの理念を必要としている人のお役に立ちたい、と考え「これをやろう」と決意したのが2011年。

友人の死から1年も経ってた。。。

 

 

実は以前からドラムサークルの存在は知っていた。

知った時は2008年くらいで、ファシリテーター、、まして自分でタイコを揃えてドラムサークルを主催するのには抵抗があった、、

、というより大変!って思ったんで、そのまま自分の中で放置してたんだけど、もうそんな保守的な自分など、どうでもいいと思った。

 

もし自分が何かをすることで、暗闇に少し灯りをともすことになれば、後ろ向きの人が、少しだけ前を向こうと思ってくれたら。

実は自分の存在、それ自体が誰かに貢献している事実を体感してもらえたら。

自分は宇宙の中の一部分で、目の前の人もまた、宇宙の中の一部分でしかないと共有できたら、どんなに素晴らしいだろう?

 

ドラムサークルはドラムを持って輪になって座る「人の和」。

和の中をハートサウンド(心音)がビートになり貢献しあう。そこは宇宙の縮図だ。

 

一人でも欠けたら宇宙のバランスが崩れ、違う世界になるだろう。

ドラムサークルはメタファーなのだ。

ドラムサークルをツールとして

ドラムサークルをやり始めて5年が経ち、振り返れば

【大きな出会い】と僕の【人の振る舞い】としての学びの連続だと思う。

 

とは言いながら、今でも【くだらないこと】に一喜一憂してしまうし、

小我にとらわれてしまう自分がいる。

そして、いろんな人に迷惑をかけてしまうのだ(笑)

 

でも、そんな自分でも受け入れてくれる人間関係が好きだし

僕もまたその関係をさらに良くして、広げていこうと思う。

 

ドラムサークルに参加していただく方からの学びは大きい

「はじめまして!」の人も「久しぶり!」の人も

輪になって一緒にタイコを叩き、笑顔になって帰っていく。

 

人それぞれ環境が違うし、もっているものも違う、参加者さん一人ひとりに

抱えている問題が違うのだ。

 

な~んの共通点も無いけど、一緒にタイコを叩き、ビートで繋がっていく・・と考えると、感動せずにいられない。

このドラムサークルはあなた(参加者さん)の地図にどんな道標となっただろう?ふと考えるときがある。

参加者さんこそ僕の先生である。

 

最近、お気に入りの本「幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えII」 の中に

『「最良の別れ」に向けて不断の努力をしなければならない』という言葉があるのだが、その言葉『ガツン!』ときた。

僕が友人との別れに必要だったのは、まさにそれだと思う。

(この本のここだけ切り取ると誤解されてしまいそうなので、是非、読んでほしい)

 

人生は一期一会の連続だから、「いま、ここ」の現実を最大限に努力するということだと思う。

ドラムサークルの父、アーサーハルが言う「in the moment /いま、ここ」の音楽を演奏するよう参加者を促し、

参加者の間の「つながり」や「コミュニケーション」を強化するように・・・

人生はどんな時も、ドラムサークルのようだ。「いま、ここ」の人間関係とビートを奏でていくのと同じことなのだ。

 

ドラムサークルはツール。いままでのドラムサークルでは、、一期一会の出会いで、参加者さん同士が

イベントを企画する仲へと成長したり、起業するきっかけとなる仲へ成長したり、お友達としてその日から交流が始まる仲へと成長したり、

いろんな縁の場になってきたのが嬉しい。

そこに僕が何かを仕掛けているわけでなく、タイコによって共鳴した感性が共感しあい

さらに絶妙なハーモニーとなって、具体的なカタチに変革するのだ。

 

魔法でもなく、マジックでもなく、人がもともと備わっている「共感力」が掘り起こされ、起こりうることなのだ。

 

僕は毎回の出会いが「最良の別れ」になるように、精一杯ファシリテーターをする。それは「自分にとって」でしかない。

自分以外のものはコントロールできるはずがないから、ドラムサークルでビートがひとつになり、まるで巨大な生き物のような躍動感を感じるときは

ただただ感動!その中に自分が居るという体感は最高だ!

今年のドラムストロング

人は誰でも、今一瞬を生きて、1秒前のことでさえ過去となり

今ここに存在しない時間となる。

 

そのことは、誰もが死から逃れられない現実と捉え、

1分1秒と『死』に近づくことと捉えれば、、

今この瞬間を「命を使って生きている」ということになる。

『使命とは「命を使う」ことだ』とは、うまいことを言う人がいるものだ。

 

その限りある命を『何に使うか?』というのが重要なテーマで、

それが自分の人生を変革するエネルギーとなっていくんだろう。

でも、やっぱり

【くだらないこと】に一喜一憂する小我にとらわれてしまう自分もいるんだけど!(笑)

 

今回、ドラムストロング関西は

5月29日(日)18:30~

長居ユースホステル多目的室   大阪市東住吉区長居公園1-1(長居スタジアムバックスタンド下) 

TEL06-6699-5631

◆参加費: 大人1500円

       小学生500円

       未就学児 無料

>>>申し込み

 

ドラムストロング関西 >>>詳しくはこちら

 

是非、ドラムサークルを体感していただきたいなぁと思います。長文、読んでいただき、ありがとうございました!