リズムにのって、、友を思い出す。

2013年3月からコミュニティドラムサークルをはじめて、もう6年、、まだ6年。。

今回のドラムサークルも様々な年代、個性の方々、、、に参加してもらった。

今日、お互い「初めまして」という間柄が多いはずなのに、タイコ叩いてシェーカーを振って、自然にリズムがシンクロしていくその瞬間。

グルーヴが続いて空気が揺れているような感覚。。

ひょっとしたら、、僕ら昔から知ってて、昔も一緒にタイコ叩いてた?、、と錯覚をしてしまうぐらい。。

それくらいすぐに信頼関係ができあがってる。

 

 

彼がみたらなんていうのかなぁー

2010年の3月に友の訃報を聞いた。

僕がジャズのライブをしたその日の夜中。。

 

その日、ライブに誘おうと思って電話をしようと思ったが、、止めた。

『最近、音沙汰ないし、今は調子が悪いのだろう。。』と変に気をまわしてしまった。

 

彼はある病気で悩んでいた。だから音楽を聴いてHappyになってもらおうと思う反面、調子が悪い時に誘うことは、変にプレッシャーをかけてしまうのでは?とも思い電話をかけなかった。。

 

だが、彼が自死を選ぶほどに悩んでいたことを僕は知らなかった。

 

次の日の訃報の連絡。

「ひょっとしたら僕が電話をかけていたら、状況はかわっていたのではないか?」と悔やんだ。

このときは、全てをやめたいと思った。

 

何のために音楽をやっていたのか?と自問自答しながらも、何も答えなどはでない。。

 

間違いなく1分1秒、、死に近づいている。

友人が多くなればなるほど、生きるのが長ければ長いほど、嬉しい知らせも、悲しい知らせを聞く回数も多くなる。

その時に何を思うか?何を行動するのか?

 

僕が友の死から、立ち直るきっかけをつくってくれた人。その人に言われたこと

『彼の死によって、音楽をやめたり、投げやりになったり、希望を失ったりしたら、彼の死は【最悪】となる。そうじゃなくて、彼の分なで生きよう!彼の分まで幸せになろう!彼と縁した人たちとともに、幸せになろう!って決意することが、【善】が死者に返っていく』と教えてくれた。

 

なにより、あの時、電話すればよかった!と悔やむ僕が、、これ以上、彼の死を【最悪】にしたくない!というのが僕の強い思い。

 

彼の死を最悪でなくて【最善】にしていくには「今、この僕にいったい何ができるのか?」

と、それをきっかけに考えを転換できた。

 

彼が命をかけて僕に教えてくれたものだから、大事にしなきゃ、、尊いことをしたい。。

 

自分の今までのスキルを最大限に生かしてできること、、そこでドラムサークルを再発見したのだ。

ドラムサークルは知っていて、やってみたいと思っていた数年前、、・忙しくてズルズルと何もできなかった数年間。

 

彼のように病気で苦しむ人も、社会でバリバリ活動してる人も、偉い先生だって、クラスに馴染めない子供だって、優等生だって、高齢者だって、障がいがあろうとなかろうと、カベがあろうとなかろうと、タイコの前では皆、素直な子供なのだ。

その素直な子供たちが輪になって、リズムを共有する。。

 

そのドラムサークルを絶対にやってみたいと思った。

 

ドラムサークルは、、

恥ずかしいと思っても、目立ちたいって思っても、その人の素のまま楽しめて、誰もが必要な存在で、弱い音も強い音も、優しい音もとがった音も、ひとつの楽団のように交わって、ひとつのハーモニーになっていくところが、ドラムサークルの素晴らしいところなのだ。

 

誰もが、間違いなく、、1分1秒と死に近づいている。。

これは悲観的な話でなくて、僕たち生きるものすべては、命というものを使って生きているということ。

 

使う命、、【使命】

 

誰もが、その人にしかできない【使命】があるという所以だろう。

 

「自分の使命はこれだ!」っていうものは、、まだわからないけど、、、

このようなきっかけで始めたドラムサークル、僕自身を変革させ続けて、僕自身が助けられている。。っていうことは実感している。ドラムサークルを始めていなかったら、

まったく違う人生になっていただろう。

 

彼が命をかけて教えてくれたものだ。

 

彼がこのドラムサークルに参加したら、どういうだろ?って、彼の命日に思う。

 

毎回、毎回、、「ドラムサークルに初めて参加します」っていう方が居てるのが嬉しい。

「前回楽しかったから、また参加しに来ました」っていう方が居てるのも嬉しい。

 

いろんな人が参加してくれてるのがうれしい。。

 

そして、変わらずタイコを叩き続ける。

終わってからの今回は写真に入りたくないって子が1人。

画面を大きくとれば、入りたくない子もみんなの中に入っちゃう。

 

これは何でも当てはまる。狭い狭い器でなくて大きな大きな器になれば、どんな事でも受けれられる。

そんな人生にしたいものだ。

 

そして僕は、僕らはタイコを叩き続ける。リズムの永遠性を感じながら飽きもせず(笑)

 

次回のドラムサークルは5月12日です。

 

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