傾聴のドラムサークル

4カ月ぶり!、、の生活介護Kakaraさんでのドラムサークル。

コロナウイルスによる影響で活動を自粛していましたが、ようやく開催。フェイスシールドをつけての開催ですが、つけてるのも忘れるくらいの透明感と軽さ、、

なかなかイイね!

 

忘れるといえば、、

 久しぶりすぎて、僕らもドラムサークルのやりかたを忘れてるくらいでした(笑)

 

いまここの場所で

今回も開催中の写真はないのですが、

最後の集合写真も撮り忘れるくらい心地いい時間でした。

 

ドラムサークル終了後、『スイカ割り大会』をしていましたが、、

ドラムサークル時と同じく6名の利用者さん、誰一人同じ場所にとどまっていない。。

だいたい2~3人は部屋にいましたが、スイカ割りの雄姿を写真に収めようとスタッフさんも苦労しながらスイカの場所に連れていき、、スイカを割ろうと、、

いや、スタッフさんが利用者さんの手を持って割ってる感じ(笑)

 

その利用者さんたちが、

ドラムサークル開催時は叩いてはないが同じ場所にとどまっている。

 

音を『聴いてる』のだ。

 

『いまここ』の瞬間をいまここの『場所』で感じているのだ。

 

最初はシェーカーとサウンドシェイプス、

途中でドレミパイプ(音階のでるパイプ)にスイッチ。

 

まずは、スミちゃんと僕で左右に違う音階をもって、4音で奏でてみる。

利用者さんの意識がこっちに集中する。

 

バラバラだった利用者さんたちの意識が、いっぺんにドレミパイプの音に集中する。

空気が変わるとはこのようなことを言うんでしょう。

利用者さんは変化を敏感に感じ、五感のすべてを使って聴いていると思う。

僕らも利用者さんの内なる声を聴いている。

 

終了後にスミちゃんと

『あの時、空気が変わったよなー』

と感想を言い合ったほどだ。

人生は聴く事が全て

ドラムサークルはノンバーバル(非言語)コミュニケーション。

つまり言葉以外の手段を用いたコミュニケーション。

 

このドラムサークルに深く関われば関わるほど、

言語でのコミュニケーションは大事だなぁって深く感じます。

 

『言霊』というわけではないが、、

自分の【思い】、【感情】、【思想】のすべてを言葉にのせて伝えるからこそ、

深く繋がれる(時には傷つく)

 

言葉足らずでも案外、感情は伝わってるものだ。

 

よくよく思い返してみると人の話を1から10まで聴くというのは少ない。

どうしても口を挟んでしまう場合が多い。

 

言葉がなかなか出てこないかな?と思えば、『フォロー』して、

言葉が出やすいように『相づち』をうち

相手のペースに合わせて『間』をあけ

『何がいいたいか?』というのに着目して聴いて、

自分の理解が正しいかどうか?を確認する意味で聴いた内容を『まとめて』返す。

 

・・というのが聴くというやりとり。いわゆる『傾聴』ですね。

言葉だけでなく内面まで理解しようとしているところが傾聴ということになると思います。

傾聴というのは、なかなか難しい(笑)人は自分の事を伝えたい生き物でしょうから。。。

 

けども、、これってドラムサークルと同じ。

ドラムサークルの中ではそれぞれが勝手にタイコを叩いてるようですが、

リズムを『フォロー』しあい、

叩きすぎないように他の人のリズムが入れるよう『間』をあけて、

ときには『相づち』のようなリズムを叩き、

どんなリズムを叩いているかを理解して、それに合うリズムを返していく。

 

そのような関係性になると、ドラムサークルの深みを感じられると思う。

最初はみんな叩きまくるものだけど(笑)

 

さて、こちらの利用者さん、間違いなく聴いている。

おそらく、僕らの息遣いから発する音までの存在すべてを『感じ取っている』

と言ったほうがいいかと思う。

 

僕らも存在を『感じ取られている』と感じるから、この場所はいつも心地いいのだ。

日常ではその感覚がマヒして鈍感になってるから気が付かないが、、

こちらではそのマヒした大事なところを教えてくれています。

 

自分の事を言いたい(わからせたい)というより、、

あなたのことをもっと聞きたい(わかりたい)に変換したら

争いなどなくなるかもしれない。

 

人生は『聴くことが全て』と思えば、人生は深くなると思います。